電通や首相官邸でクリエイティブディレクターも 得た気づきや企画の勘所を、recri栗林嶺さんが語る[前編]

電通や首相官邸でクリエイティブディレクターも 得た気づきや企画の勘所を、recri栗林嶺さんが語る[前編]
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2024/02/26 08:00

 ダンスに明け暮れた学生生活を過ごし、早稲田大学の政治経済学部を卒業。電通にクリエイターとして入社し、HONDAやディズニー、地方創生などの案件に携わったのち、2020年から首相官邸のクリエイティブディレクターに就任。その後、エンタメや芸術をより身近なものにするための仕組みをつくるスタートアップ「recri」を起業。映像監督業も行っており、2021年に手がけたショートフィルム『gingerale』は映画祭にもノミネートされた。そんなクリエイターとしても稀有な経歴の持ち主が、栗林嶺さんだ。なぜクリエイターの道を志したのか。首相官邸ではどんなことに取り組み、何を得たのか。クリエイターとして意識していたことはなにか。前編では、起業するまでを振り返ってもらった。

ダンスに明け暮れた学生生活を経て電通へ 「ひとり電通」などを機に訪れた転機

――まずはクリエイターになったきっかけをふくめ、栗林さんのご経歴からお聞かせください。

中学から大学までダンスをやっており、アーティストのオーディションを受けたり、バックダンサーをしたり、それを生業にしていこうと思っていた時期もあるほど真剣に打ち込んでいました。高校が大学の付属校だったこともあり、とにかくダンスに明け暮れた学生生活でした。

ひとくちにダンスと言っても、ショーを作ることに特化していたり、自身がパフォーマーとしてスキルを磨いたりいろいろなスタイルがあるのですが、僕は前者。人の気持ちを動かしたり、自分が作ったもので感動してもらったりすることにやりがいを感じていました。ですがそれで生計を立てていくのはとても狭き門ですし、先輩たちの姿を見ていても厳しいんだろうと思っていたこともあり、世界を広げるためにアメリカに留学しました。

いざ海外に行ってみると、自分が制作したもので人の気持ちを動かすことがダンスでしかできないことではなく、映像、グラフィックなどたくさん手法はあるなと感じたんです。

そこで自分のものづくりのスキルはダンス以外にも活かせるのかもしれないと思い、企画からアウトプットまで「総合格闘技」のように取り組めるイメージがあった広告代理店のアイディアコンテストに挑戦してみることにしました。そういった場で何度か賞をいただく機会があったり、その道の面白さを感じたりしたことを機に、電通のクリエイターインターンに応募。大学3年生の夏に合格し、その流れで電通に入社しました。

――電通時代のお仕事内容について教えてください。

僕が入社した当時、「コミュニケーションデザイン」という概念が広まり、「クリエイティブを拡張していこう」といった動きが活発になり始めました。そこで僕が配属されたのが、当時はコミュニケーションプランニングセンターという名前だった部署です。現在は部署の名前が変わり「フューチャークリエーティブセンター」となっていますが、ここはいわば「特命部隊」のようなチーム。「クリエイティブ×経営」「クリエイティブ×政治」のように、ものをつくるためのクリエイティブだけではない、クリエイティブの領域を拡張していくことがミッションです。

そこで僕は、幅広くいろいろなクリエイティブに携わりました。コピーを書くこともあれば、映像を制作することもあるし、PhotoshopやIllustratorを活用してデザインをすることもある。企業の事業計画を考えたこともありました。ここまでが電通時代の初期です。

株式会社recri CEO/代表取締役社長 栗林嶺さん
株式会社recri CEO/代表取締役社長 栗林嶺さん

中期になると、自分自身で川上から川下まで携わりたい気持ちが生まれてきました。ものづくりの現場ではどうしてもたくさんの人にバトンタッチをしていくがゆえに、事業計画や戦略から最後のアウトプットまでに乖離があることに気づき始めたんです。人数が関わるからこそ、クオリティにおいても気持ちの面でも、最後まで保つことが難しいと感じていました。

そこで、川上からいちばん最後の人の目に触れるところまでをすべて自分でやりきってみようと思ったんです。

一般的な広告代理店のCM制作では、映像の編集はディレクターやエディターといった専門のメンバーにお願いする形が一般的ですが、それも自身ですべてやってみようと思い「この案件にはディレクターはいりません」と伝え、絵コンテを描き、カメラマンと話しながら照明を考え、映像の編集もする。撮影や編集などは知人に教えてもらいながら、すべての工程を自分でやり始めました。官公庁や地方創生の映像制作、小さい規模であればCMなどもふくめ、自分でクライアントと会話をして企画をとおし、予算をとり、映像案に落とし込み、撮影・編集・納品までを全部自分でやる。こんなふうに「ひとり電通」を目指して取り組んでいたのが、電通時代の中期です。

そこで大きな転機がやってきました。僕自身が電通でクリエイティブ領域の拡張に取り組んでいたこと、企画からアウトプットまですべて自分でやっていることを買ってもらったこと、早稲田大学の政治経済学部で政治を勉強していたことの3つが重なり、首相官邸のクリエイティブディレクターとして白羽の矢が立ちました。それから2年間、首相官邸に出向することになります。

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